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在台湾沖縄県人会遠足 Vol.1

更新日:2020年8月11日

8月8日に、在台湾沖縄県人会、初の遠足を実施しました。

県人会会員の親睦活動及び情報交換を行い、沖縄人のネットワークを通じ、将来の沖縄の発展に貢献することが主たる目的。

 これまでの定例会は、飲食店での親睦会を実施していましたが、8月の県人会親睦会は、沖縄の歴史と関わりが深い地域を訪問する遠足を実施することになりました。


目的地は、基隆の和平島。基隆港の北東に位置する島で、以前は「社寮島」として知られていました。この地域には、多くの琉球人が移り住み集落を築いていたそうです。和平島の中に、琉球人の墓もあるとのことで、大人・学生・子供含む総勢32名で訪問。

バスで向かう途中、沖縄人の二世。古堅さんのお店を通過。

古堅さんのお父さんはアルゼンチンの沖縄会館の館長を努めた方らしく、千葉にいた時に基隆出身の台湾人と結婚し、6年前に移りカラオケ店を開いたそうです。

古堅カラオケ店
基隆市中山區西定路307號

その後、基隆市原住民文化會館へ。

そこに琉球漁民 濱川さんの奥様と、画家の林大洋さん、漁村文物館の館長で琉球村について研究をしている、許焜山さんにおいでいただき、お食事と座談会をさせていただきました。







宮古島伊良部出身の濱川武雄さんは、15 〜16年ほど前になくなられたのですが、漁師として戦前に台湾へ移住し、戦後の混乱により帰国ができなくなったそうです。濱川さんの奥様は原住民、流暢な日本語で、故濱川さんのお話と村の生活のお話しなどをお伺いしました。




舞台上では、黒島会長がナビゲーターを務め、濱川さんのお話をお聞きしました。

ぬ。ヌヌ。ぬめぬめ。



参考:琉球漁民は1905年に、久高島出身の海人・内間長三氏(1,881-1,953)が、基隆に移り住み、現地の方々に捕魚技術を教え、「海の神様」と地元で呼称され尊敬され慕われ続けていたそうです。

『五穀のはじまり神の島 進貢船をあやつりて うるま文化を培えし 祖先の遺風をうけつぎて 身は健やかに気は高く 生い立つ我らの 雄々しさよ』。 
久高島小学校校歌 宮良長包 作曲 / 外間良儀 作詞

琉球王朝時代は王府に使えるために、男は全員海人(進貢船乗員)、女は全員神人になった。(西銘史則氏の資料から)

濱川さんと一緒にいらした、画家の林大洋さん曰く、日本統治時代、台湾に移り住んだ沖縄人は1万人にのぼり、その中でも、社寮島は最大の琉球人集落があったとのこと。半分が海んちゅ。色んな離島地域からこの地に集まり、社寮島にも560名の琉球人集落があったそうです。林大洋さんは、濱川さんと親交が深く、いくつも彼の絵を残しています。


その後、街歩きへ。炎天下の中、社寮島の元琉球人集落エリアを散歩。



目的地の和平島につき、無事にご線香することができました。

台北に戻ったら、打ち上げ。 圓酒集合で、BEGINと過ごす究極の夜の貴重な映像を楽しみながらアリ乾杯しました。

最後に、海の神様として現地の方々から慕われてる沖縄人がいたこと。

和平島をみんなで訪問し学ぶことができて嬉しく思います。

在台湾沖縄県人会は、まだ若い団体ですが、しっかりと先人の足跡を確かめながら、沖縄の平和と発展に貢献していきます。

皆様も機会があれば、琉球人と縁がある、和平島を訪問してみてはいかがでしょうか?


和平島公園
基隆市中正區平一路360號
https://www.hpipark.org/


今回、初めての在台湾沖縄県人会遠足で、ご協力いただいた方々に、この場を借りてお礼を申し上げます。



★thanks to

・OTS大原旅行社
・陳保佑 県人会顧問
・沖縄産業振興公社台北事務所
・中琉文化経済協会
・大龍峒金獅團 李世澤 社長
・和平島公園
・許焜山さん
・圓酒スタッフ
・BEGIN


在台湾沖縄県人会、会員の申し込みはこちらから。


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