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昭和の那覇-独り言 (東呉大学教員 長田正民)

夏以後のコロナ禍で苦しむ沖縄。昨年、令和元年の沖縄への観光客数は1000万人を突破したという。観光客の大好きなゆいレール、那覇にいた頃の実家は美栄橋駅のそばだった。


今は焼き肉屋や貸しマンションが林立している。昭和39(1964)年、幼稚園の頃からそこに住んでいた。当時、久茂地川沿いの道を馬車が走っていたのを見たことがあった。馬糞が強烈な臭さだ。家の周りは空き地で蝶々が飛び交い、雨が続くと多くのオタマジャクシが水たまりの中にいた。


通った前島小(現那覇小)はグラウンドが広く、スポーツが盛んだった。中学生になってから、前島小出身者は不良少年かスポーツ少年か、どちらかだと揶揄された。確かに「決闘」が多かった。僕は幼稚園から小学校の卒業式の前日まで、2年に一回ぐらい決闘をしてた。当時の男の子は相手の決闘を断ってはいけなかった。もちろん、中学生になってからは、しなくなったが、お蔭で鼻が少しゆがみ、慢性鼻炎の原因だ。


近くに明治時代から那覇の名門小学校といわれた久茂地小があるのだが、那覇の中心街の少子化で6年前に前島小と統合。校舎は前島のを使い、久茂地は廃校。ユーデキヤー(優等生)が多かったのに、久茂地OBは、さぞかし悔しいことだろうに。ウーマク(腕白)の前島と一緒になって、、。

昭和39年は東京オリンピックがあり、聖火が復帰前の沖縄にもやって来た。家族でタクシーを飛ばして、奥武山の競技場の聖火台を見に行った日が懐かしい。当時は復帰前、島内の聖火リレーで、日の丸が乱舞して、沖縄を統治していた米国民政府は困惑したそうだという。     (続く)



 

長田正民 (在台湾沖縄県人会理事)

経歴
 
昭和331958)年生まれ
・幼少の頃 那覇市松山に住む
・昭和39年夏 前島小近くに引っ越し(現ゆいレール美栄橋駅そば)
・前島幼稚園卒
・昭和40年 前島小(現那覇小)入学
・昭和46年 那覇中 入学
<昭和475月 日本に復帰、沖縄県になる>
・昭和488月 那覇中3年で転校、東京江東区へ引っ越し
 
・高校、大学、サラリーマン時代は東京で
 
・昭和621987)年 父(華僑)の老人病で台湾へ
・昭和63年春 台北日本人学校中学部で社会科教員(現地採用)
・ 同年秋 東呉大学日本語文系で教員(非常勤)
院生の頃、J通信時代の先輩と遭遇。アルバイトで連絡員。
・平成71995)年夏、台大政治学修士取得、J通信系PANA通信 支局記者
・平成11年夏、記者を辞め、東呉大へ
<平成15年 ゆいレール開通>
・平成17年 東呉大専任講師   ~現在に至る


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